2014年8月19日火曜日

カモメのジョナサン完成版を読む


カモメのジョナサンを初めて読んだのは、大学受験が終わってブラブラしてる頃だから、18才頃で今から25年前だ。あれから上京したり引っ越ししたりで、気がついたら手元に文庫本がなくなってた。だから読むのは20年ぶりぐらいかな。

第三部で終了した当時の本は、自由と生きることの意義を教えてくれたジョナサンだったが。

今回の完全版はちょっと違っていた。ジョナサンが離れた後のカモメたちの様子を描いている。ジョナサンは神格化され、フィッチャーたち愛弟子達は聖人として信仰の対象になっていった。カモメたちはかつてジョナサンが追求してやまなかった飛行術ではなく、ジョナサンその物にしか興味を持たなくなっていた。

ジョナサンは、自由と生きることの意義を教えてくれたと書いたが、直接的にジョナサンはこの事に気づき僕らに教えてくれたわけではなかった。ジョナサンは自分の好きな飛ぶことを突き詰めていくことで自身で気づき、自身を高めていった。僕らもその姿を見て(読んで)その事を知る訳なのだが

ジョナサンが去った後のカモメたちは、ジョナサンを信仰の対象とし、フィッチャー達がやったように自身をジョナサンと同じ高みまで引き上げる努力をやめてしまう。木をくわえて飛んだり、石を積み上げたり、長ったらしい言葉を素早く唱えたり、ジョナサンの伝えたことと関係のないことをすることで信仰の証をたてる。これらは結局ジョナサンの思いと異なる方向にカモメの群れは進んでいく。

しかし、時が経ち、その中からかつてのジョナサンのように自由を求めるカモメが現れる。がんじがらめの掟から自身を解き放つことを求める若いカモメ。そのカモメの元に再びジョナサンが現れかつてしたように飛行術の講義を始めるところでこの本は終わる。



読み終わって、思うのはボク自身はジョナサンを神格化したカモメなのだと言うこと
好きなロックのミュージシャンや、建築家のインタビューを読み、彼らを知ったつもりになるだけの存在であると言うこと。彼らがしたように、ギターの練習や、図面やスケッチし続け、ボク自身を彼らの高みに引き上げるような努力は行わなず、ただ彼らに憧れるだけの存在。

ボク自身、今まさに、2級建築士試験の実技試験受験のために準備をしているところだが、ある人から、いま40過ぎたところで、建築を学んでどうするのかと聞かれた。いまさら、有名建築家になれるわけでもないし、彼らのようにセンスがあるようにも見えない。今ある建築屋の仕事をただやればいいじゃないかと。

ボク自身もその様に思わないわけでもない。

でも、今回の完成版は、そんな中でも考え方一つでいつからでも学習を始めることはできること。そして、ボクらは自由なんだと言うことをあらためて気づかせてくれた。
ボクが彼らになると言うことでは無く、自由に彼らと同じように自分を高めていけば良いのだと言うことを気づかせてくれた。

人から図面をもらって建物をたてるよりも、自由を求めるのであれば建物を自分でデザインする立場になりたいと願うのが自然だと思う。最近読んだレンゾ・ピアノの講演の本でも、実家が建築屋だったレンゾは父親に建築家は建築屋より役に立たないと言われるが、より自由を求めて建築家になったと言っていた。建築で自由を求めるのは、建築家になることなのだ。

当たり前だが、ボクがレンゾ・ピアノになれるわけはない。でもジョナサンに出会ったフィッチャーのように自分を高めていく事は自由なのだ

そんなことを、読んだ後に思った。

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